『ISIS編集の国』の資料(ミームカードの解説部分)
 
 

太田さんたちの夏合宿から動き出した『編集の国』。生まれた“価値”は実際どのように流通したのでしょうか。
 「コンテンツを流通させながら、その組み合わせの編集性で価値が上がるということをやるときに、一番考えなければならないのは、情報単位を揃えるということです。文字数150字程度で、画像がつき、裏表の対があるIPのミームカードをその単位としました。あらゆる情報はこのミームカードを単位にやり取りされます。それに書き込んで、各サービスサイトに投稿し、またサイトからカードを取ってきて、自分のパレット(当時はステッカーと呼んでいた)で組み合わせるわけです。」

 
キューコフに投稿された全ボタンのリスト
「なかでも『お笑い大惨寺』というサイトが人気を集めましたね。○○すると楽しいけど、○○すると悲しい、などのお題が出て、答えて返すと、サイトの主が松竹梅で評価するわけです。『キューコフ??』という熱狂的なファンも生んだサイトもありました。ボタンコレクアションのサイトで、人に見せたいボタンの画像をカードの表に貼ってもらい、裏を解説として投稿してもらいました。」
投稿用のカードや別のユーザーのカード等を買うと5ミーム引かれたり、評価で「松」をもらうと、100ミームもらえるそうで、情報を生産する人はミームが溜まっていくけれど、情報を取るだけの人はミームがなくなっていくという構造をもっていたのだそうです。なんと、登録者にはミームの貯金通帳まであったのだとか。

 
内田繁デザインスクールのテーマは「夏の椅子」。自分のコンセプトを4枚のカードで投稿。
 
 



その他の『編集の国』で展開されたコンテンツとして、岐
阜の人にわらべ歌を配信したり、インテリアデザイナーの内田繁さんのデザインスクールも開催されたそうです。
 「この実験のなかでわかったことがあって、それは、デジカメがこれだけ普及している中で、それらをどんどんストックしていけば、十分に地域のコンテンツになるということ。コンテンツは全て素人さんのものですが、情報単位を限れば、プロと勝負しても遜色ないものが十分出来上がることが見えてきました。」と太田さん。

一番の目玉コンテンツになったのが、「正剛ブックOS」。編集工
学研究所の1階から4階までの本棚の構造をそのままサイト上に模し、空の本箱を持ってきて、そこに自分の選んだ本を入れることができたのだそうです。本一冊がカード一枚になっていました。そのために何万冊分のデータをつくったのだとか(なんと、編集工学研究所には5万冊の本がある)。
 またこの頃、講師である「師範代」とともに、「編集稽古」という問題を介して、編集力を身につける『編集学校』もネット上で開校。『編集の国』と連結したそうです。この『編集学校』の生徒達が、編集工学研究所が現在進行中の地域のネットワーク構築に大きな役割を果たしていきます。