そして、IPの交換、共有といったコンセプトから、「IPを広く普及させていくためには、ある特定の企業の色が強くならない方がよい。そのために、企業や研究者が集まれる中立的な立場のコンソーシアムを作ろう」という意見が誰からともなく生まれていったそうです。
「手始めに、北海道大学での研究成果を世間に発表して反応を見てからコンソーシアムをつくろうということになったんですよ。ちょうどその頃、93年の5月に神戸で開催される予定だったTED4に出展しないかという
話しが田中先生のところに舞い込んだので、みんなでIPコンソーシアム設立準備委員会という形で出展しようという話になったんです。
TED4とは、「Technology, Entertainment, Designingが一体となって、初めて新しい時代が開拓出来る」というリチャード・ワーマン氏の提唱のもと、上記3分野の世界の専門家が一堂に会し議論する会議。神戸会議が4回目であることからそう呼ばれていたそうです。その会議が開催された4日間、会場にマシンを持ち込んで、IPのデモを行いました。
「非常に大きな手ごたえを感じました。特に、ハイパー・カードを作ったビル・アトキンソンが熱心にへばりついて、「こういうものが作りたかったんだ」というコメントを残してくれたんです。」と語る田中さんの言葉には、当時の興奮が伝わってくるようで、ちょっとゾクゾクしました。
その後、5月の末にコンソーシアムの設立を発表し、ニュース等で募集を告知しました。「永田町の砂防会館の大きなホールで、デモもろくにせず、このようなものをやりましょう、と会員を募ったら百何十人も集まって驚きましたよ。」と田中さん。
そしてついに1993年7月20日、札幌を本拠地としてIPCが発足しました。村田さんを企画室長(初年度は事務局長)に、田中さんも富士通や富士ゼロックスの方々と設立当初から企画会議のメンバーとして参加されていたそうです。
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