吉田さんがIPと出会ったのはTED4が開催された93年でした。「もともとPDA等の機器組み込みのソフトばかりを作っていて、その後IPに移ったんです。PDA開発ではMacOSに近いコンセプトのプラットフォーム上で開発していたので、Mac版のIPを開発するという話になったときは、開発環境面では移りやすかったんです。」と淡々とした様子で語る吉田さん。
初めてIPに出会った時も「来るものは拒まず、といった感じで仕事として見ていました」という吉田さんの生真面目なお人柄がうかがえるお言葉。とはいえ、実際に開発を進めるにつれ、やはりIPの考え方に画期的な新しさを感じていったそうです。「生で色々なデータを扱うのが従来のツールですから、それを一枚の皮で包んでいるところが特殊で、新しい可能性があるな、と思いました。」と当時の思いを振りかえられました。
吉田さんがIPに移られた93年は、まだIPとOSをつなぐ働きをするカーネルという部分の開発を行っていた時期でした。「当初、IPは何にでも、例えばOSに相当するような機能にもなる可能性がある、すごいものだと思っていたんです。でもカーネルを作っていて、それに乗せるアプリケーションというものを考えた時、自分ではなかなか考えつかないんです。」と語る吉田さん。
又、その頃吉田さんが主に担当されていたのが動画や画像を扱うメディア系の部門でした。そこから漠然と、IPがコンテンツをたくさんのせたメディアとして、色々な形で出回っていけばいいなと考えていたそうです。ところが当時はまだパソコン通信のレベルで画像等はただダウンロードするだけというような時代。IPでメディアを包んで配信するというものはにはならなかったそうです。
再編集、再流通をキーコンセプトとするIPが、インターネット以前の時代に登場していたということのすごさを改めて感じました。
その後吉田さんは、段々カーネルからその上に乗せるアプリケーションの開発の方に仕事内容がシフトしていき、98年頃に「カムイミンタラ」を開発することになりました。しかし、当時のカーネルは、様々なアプリケーションを作るにはまだ未熟な面があったのだそうです。さらに吉田さんはこう続けます。「現時点のカーネルにも不満な点はかなりあります。IPを貼り合わせると簡単にアプリケーションが作れますが、大量に貼られたIPをまったく新しい誰かに任せてメンテナンスするとなると、とても手がかかるんです。貼り合わせた状況をドキュメント化する道具はありますが、やはり難しいですね。IPは簡単にいじれるから、バラバラになって構造が崩れてしまう場合もあるんですよ。」
もうひとつ、吉田さんが指摘したIPの問題点があります。リソースの問題です。「多くの機能を持つパッドを作るには、パッドの個数に依存します。たくさんのパッドを使ったら、それだけ消費するリソースが多くなるというジレンマがあります。」
このエンジニアの飽くなき欲求が、IPの進歩を支えているんですね。
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