【Pad研究の最先端に触れる!】  
田中「机を叩くと音が鳴る、キャップを飛ばすと転がる。こういうことがオブジェクト指向。」
 
 
IP探訪記・北海道篇の最後の取材先は、IntelligentPadが生まれた、まさに総本山、北海道大学の知識メディアラボ(ミーム・メディア・ラボ)です。
お話を伺ったのは、他でもない、IPを創意発案した田中譲先生。田中先生のお話は、IPを生み出すことになったいきさつから、IntelligentPadの基本概念、「ミームメディア」に移っていきます。これまで、教育者やプログラマーなど、いろいろな立場からPadを説明してもらいましたが、すべてのベースになっているミームという考え方を、じっくり伺うことができました。




川原:最後の取材は、北海道大学、IPの生みの親である田中先生ということで、なぜか昼食もろくに喉を通らないくらい、緊張しちゃいました〜。
吉田:僕もラボに入ったときのあの緊張感は忘れません。さて、さっそく僕たちは大きな教室に案内され、まずは田中先生がIPを生み出すことになったいきさつを話してもらいました。
川原: IP研究を始める前の田中先生の専門は、データベースやヒューマンインターフェースだったそうです。そして80年代に入ったころ、「オブジェクト指向」という考え方をアメリカの雑誌を読んで知り、IPの概念を築き上げるキーアイディアとなったそうです。田中先生はそのオブジェクト指向の記事を読んだ瞬間、「これから何か大きなことが始まるのではないか!?」と強く予感したと言っていましたね。





吉田: 田中先生は、オブジェクト指向はすばらしいものだとわかっていたけれど、これだけでは普通のパソコンユーザが使えるものではないとも思った。そこに、IP開発につながるきっかけがもう一つあったんだね。それが、1984年に買ったゼロックス社のSIP1100というマシンが持つナンセンスプログラム。その斬新なプログラムを体験して、当時とてもカルチャーショックを受けたそうだ。そのいきさつを語る田中先生の目が、今でもキラキラしてたのが印象的だったなぁ。
川原:そのプログラムでは、マリリン・モンローの目がウインクしたり、マウスカーソルが矢印から空飛ぶ円盤に変わって制御が利かなくなったり、アイコンから漫画の吹出しが出て「息が詰まる、開けてくれ!」と文句を言ったり!それは当時にとって、とても斬新な感覚で、田中先生は「コンピュータってこういうポップな感覚でとらえないとダメなんだ」と思ったそうです。
 
田中「見えるオブジェクトを自由に管理できる、そんなシステムが欲しかった。」
   
田中「いろんなモノの組み合わせで新しいモノができる、これを考えただけで興奮した。」
吉田:アイコンがしゃべるっていう発想は、アイコンをオブジェクトととらえた時の発想だと直感した。いわゆるオブジェクト指向DBなどの議論とは、ずいぶん大きなギャップがあると感じたそうですね。そこから生まれた発想が、「外在化」という考えだと。つまり、「機能を外在化してものの形態を与えるもの=メディア」が必要だ、と思ったそうです。
川原: ちょっと難しい話だったけど、オブジェクトを単に部品としてではなく、「メディア」として考えたわけですね。メディアというとテレビや新聞を思い浮かべますが、つまり「情報を受け渡す媒体」という意味でしょ。田中先生は、とにかく本やノートが計算機の中に入り込んでいくような"編集のきくシステム"をつくりたかったのですね。
吉田:そして1987年、真冬のある夜中に、田中先生のアイディアが爆発する(笑)。夜中の11時、急にいてもたってもいられないくらいの発想が田中先生の頭のなかに沸き起こったっていう話には、聞いてる僕たちも手に汗握ったね。





川原:フツフツと沸き起こったアイディアを、田中先生は学生さんと深夜まで語り合った。そしてついに、紙を切り貼りしたり並べたりする感覚でいろいろなメディアをあつかえる「複合文書アーキテクチャー」という基本概念を発想して、学会で発表したというわけですね。
吉田:その複合文章アーキテクチャーを使えば、ユーザーは"知能を持ったメモを自由に貼り合わせる"ことができるようになるんだね。
川原:その「紙の貼り合わせ」という操作感覚が、IntelligentPadの持ち味ですよね!野口先生のところで始めてPadの組み合わせ操作を見せてもらったときは、本当に驚きました。
吉田:そのアーキテクチャーをIntelligentPadと名づけ、田中先生が学会で発表した後、当時IP研究に関わっていた学生さん達によって、面白いツールがどんどん産み出されていった。IPの基本概念が誕生してから、だいたい1年くらいで、システム設計が自主的になされていったそうです。その自主的な勢いって、凄いなぁ。