任都栗先生とタッグを組んで「きりはり教室」など教育分野でのIP開発を進めてきた鈴鹿さん
「怪獣のデザインには苦労しました。いざつくろうと思うと難しいんですよ」
 
 



「私とIPとの付き合いは殆ど任都栗先生との付き合いと一緒の長いものなんです。」と語るのは鈴鹿さん。もともと日立ソフトの研究セクションでマルチメディアの研究をしていた鈴鹿さんは、IPの研究に何度か関わっている内にIPのセクションに異動することになったのだそうです。そして移った直後から現在に至るまで担当しているのが日本語教育、語学教材の開発です。
今ではIPでマルチメディアを扱うおもしろさを実感し堪能している鈴鹿さんですが、当初はIPがどういうものなのかまったく分からなかったそうです。そこで、勉強がてら自分で色々なものを作ってみたそうです。「ちょうど子供が掛け算九九を習っている時だったので、それ用のゲーム教材を作ったんです。怪獣が段々近づいてくる、弾を撃つとその怪獣が遠ざかるというしくみで、掛け算九九の問題に答えた数だけ弾がもらえるんです。だからたくさん解かないと怪獣にやられて負け。」とちゃめっ気たっぷりの笑顔で語る鈴鹿さん。
 実際に作ってみたことで、従来のシステムよりもはるかに短時間で、しかも簡単に出来ることを実感したそうです。鈴鹿さんは、IPのツールとしての便利さを次のように語られました。「家で片手間に出来ちゃったんです。本気でプログラムから作ったら、あんなに早く出来なかったですね。なんといっても一番時間がかかったのは、怪獣のデザイン探しだったんですよ。本屋で買った怪獣の写真集をスキャンしたりして四苦八苦。おかげで子供にはかなりウケて、九九もしっかり覚えてくれました(笑)。」
 なんだか休日のちょっとした時間を利用して家族のためにソフトを作る、という感覚がまるで日曜大工のようで、とても面白いですね。IPの部品が東急ハンズなんかで売られていて、エプロンを着た店員さんに相談しながらパーツを物色しているお父さんの姿なんて想像してしまいます。




 IPの組み立てやすさから、鈴鹿さんは色々なアプリケーションがIPで出来たらどうか、と考え始めました。「例えば、カーナビやPHS位置情報システムもPADになっていれば、同じ地図上のPHSからの情報を表示することが出来、徘徊老人追跡システムもすぐ出来てしまうんです。」と鈴鹿さん。IPはOSに依存しないように共通化してあれば、色々な応用が出来ます。つまり、アプリケーションがPADになっていれば、色々なことが出来るのだそうです。
しかし、鈴鹿さんは次のような言葉も残されました。「アプリケーションをIPにするためには、IPをプラットフォームとして普及させなければならないという大きな問題をはらんでるんです、そして、それが一番難しいんですよ。」

 

日立ソフトでのIP開発の初期から携わってきた吉田さん

 
 
 
現時点でのカーネルにも不満な点はまだまだあります。」




吉田さんがIPと出会ったのはTED4が開催された93年でした。「もともとPDA等の機器組み込みのソフトばかりを作っていて、その後IPに移ったんです。PDA開発ではMacOSに近いコンセプトのプラットフォーム上で開発していたので、Mac版のIPを開発するという話になったときは、開発環境面では移りやすかったんです。」と淡々とした様子で語る吉田さん。
 初めてIPに出会った時も「来るものは拒まず、といった感じで仕事として見ていました」という吉田さんの生真面目なお人柄がうかがえるお言葉。とはいえ、実際に開発を進めるにつれ、やはりIPの考え方に画期的な新しさを感じていったそうです。「生で色々なデータを扱うのが従来のツールですから、それを一枚の皮で包んでいるところが特殊で、新しい可能性があるな、と思いました。」と当時の思いを振りかえられました。
 吉田さんがIPに移られた93年は、まだIPとOSをつなぐ働きをするカーネルという部分の開発を行っていた時期でした。「当初、IPは何にでも、例えばOSに相当するような機能にもなる可能性がある、すごいものだと思っていたんです。でもカーネルを作っていて、それに乗せるアプリケーションというものを考えた時、自分ではなかなか考えつかないんです。」と語る吉田さん。
 又、その頃吉田さんが主に担当されていたのが動画や画像を扱うメディア系の部門でした。そこから漠然と、IPがコンテンツをたくさんのせたメディアとして、色々な形で出回っていけばいいなと考えていたそうです。ところが当時はまだパソコン通信のレベルで画像等はただダウンロードするだけというような時代。IPでメディアを包んで配信するというものはにはならなかったそうです。
 再編集、再流通をキーコンセプトとするIPが、インターネット以前の時代に登場していたということのすごさを改めて感じました。





 その後吉田さんは、段々カーネルからその上に乗せるアプリケーションの開発の方に仕事内容がシフトしていき、98年頃に「カムイミンタラ」を開発することになりました。しかし、当時のカーネルは、様々なアプリケーションを作るにはまだ未熟な面があったのだそうです。さらに吉田さんはこう続けます。「現時点のカーネルにも不満な点はかなりあります。IPを貼り合わせると簡単にアプリケーションが作れますが、大量に貼られたIPをまったく新しい誰かに任せてメンテナンスするとなると、とても手がかかるんです。貼り合わせた状況をドキュメント化する道具はありますが、やはり難しいですね。IPは簡単にいじれるから、バラバラになって構造が崩れてしまう場合もあるんですよ。」
 もうひとつ、吉田さんが指摘したIPの問題点があります。リソースの問題です。「多くの機能を持つパッドを作るには、パッドの個数に依存します。たくさんのパッドを使ったら、それだけ消費するリソースが多くなるというジレンマがあります。」
このエンジニアの飽くなき欲求が、IPの進歩を支えているんですね。

 

 
ソフトな語り口にも熱い思いが伝わってくる。